上高地について

長野県松本市に属し、中部山岳国立公園の一部で国指定の特別名勝、特別天然記念物・天然保護区域に指定されている、日本有数の山岳観光地として知られてています。

「上高地」の名は、穂高神社の祭神「穂高見命」が穂高岳に降臨したことに由来する「神降地」、この地(穂高神社奥宮・明神池)に祀られていることに由来する「神垣内」または「神河内」から現代表現に転じたとされています。

上高地の歴史(信仰・開発)

上高地始まりの地・明神から望む朝焼けの明神岳

江戸時代前期に始まった松本藩による木材伐採が上高地開発の始まりとされており、元禄時代(1688年から1704年)には既に田代、明神、徳沢、横尾ほか12ヶ所にキコリ小屋があり、明神(徳郷)に常駐する藩役人が木材の検閲を行っていた記録が残ります。

上高地温泉が発見され、文政年間(1818年から1830年)には湯屋(現在の上高地温泉ホテル)が開業

江戸時代末期頃までは山岳信仰(山岳は霊力あると信じ神聖視する自然崇拝)の地として、槍ヶ岳を中心に上高地周辺の山々へ近代登山とは性格の異なる巡礼登山が行われていました。

上高地の歴史:日本アルプス誕生

ウェストン卿の功績を讃えるレリーフ

産業近代化を進めたい明治政府がイギリスより招聘した冶金技師ウィリアム・ゴーランド(ガウランド)氏が明治10年に登った槍ヶ岳登山記録を英国の雑誌で「Japan alps」と紹介。この名称はその後、イギリスの宣教師ウォルター・ウェストンの著書により紹介され「日本アルプス」名が世界中で知られることになりました。

旧釜トンネル開通、上高地牧場、養老館(現在の五千尺ホテル)や上高地温泉場(現在の上高地温泉ホテル)など宿泊施設が営業を始め、初代河童橋の設置など、今日の下地となる産業・サービス業が開業。芥川龍之介が初めて上高地を訪れたのもこの頃です。(どうやら温泉好きで全国湯めぐりしていたとかww)

上高地の歴史:大正・昭和 山岳の観光地へ

現在も残る旧釜トンネル(左の四角枠の奥)

大正5年に上高地一帯が保護林に指定され、3世紀以上の長きにわたる材木供給地としての役割を終えます。この頃までは島々~徳本峠~明神~槍ヶ岳と通るルートが一般的でしたが、昭和2年に中ノ湯まで車道が開通、同8年に国道158号線開通、同9年に上高地一帯が国立公園に指定され、翌年には河童橋までバスが運行されるなど、観光地としてのインフラ整備が急激にすすみます。

大正4年には焼岳の大爆発による土石流が梓川をせき止め、できた池は大正池と命名され上高地の風景のひとつに加わりました。2020年頃には元の姿に
昭和9年に中部山岳国立公園に指定、同27年には国の特別名勝および特別天然記念物に指定、山岳の観光地として広く知られるようになります。

上高地は環境と共存する山岳リゾートへ

明治42年から植物採取が禁止された上高地では、江戸時代から続く森林伐採で荒れていた山にカラマツ植林が行われ、鳥獣保護や岩魚漁の禁止など、自然環境保護の先駆的な取り組みが行われてきました。

混雑と自然環境保全を目的に昭和50年に県道上高地公園線のマイカー規制を実施。7~8月の最盛期のみだった規制はその後通年化、観光バスを含めるなど徐々に強化され、現在の全面禁止・Car less resortへ進化を遂げました。

平成9年の安房トンネル開通に伴う158号線の交通量の増加、上高地への観光客が益々多くなった事で、上高地への新たな交通手段として沢渡から上高地までトンネルによる登山鉄道計画が模索されています…

北アルプスの高峰が作る谷間を流れる梓川が運んだ砂礫によってできた前後約10km、最大幅1kmの堆積平野。
日本では他に類のない平均標高1,500mの山岳平野・上高地

上高地の自然(地形・気候)

奥穂高岳山頂から見下ろす梓川上流部の上高地と大正池 CC BY-SA 3.0©Alpsdake

今も噴煙を上げる活火山・焼岳の噴出物などによる影響と、槍ヶ岳の南東から流れる梓川によって砂礫が堆積され、明神池、田代池、大正池などの湖沼・湿原と共に山岳には珍しい平坦地が出来上がったとされています。

上高地の標高は1,500m前後、北から西へ槍ヶ岳・奥穂高・西穂高・焼岳、北東~南に北穂高・前穂高・六百山・霞沢岳など2,500m超級の山々に囲まれ、中心を流れる清流梓川の蒼い流れと、真夏でも20℃を超えることは珍しい気候が一層の清涼感を引き立てます。

焼岳大噴火によって出来た大正池。靄に包まれる中で神秘的な印象を演出する立ち枯れの木は年々減り続け、梓川の堆積によって2020年頃までに元の梓川に戻るとされています。(大規模な浚渫が続けられています。)

上高地の季節・天気・天候 も参考に。

上高地の自然(植物・植生・紅葉)

上高地の紅葉は黄金色が中心

河川・湿原・沼地と水に恵まれた環境、大規模な森林伐採や杉などの建材植林が行われなかったことも手伝って、豊かな植生を保つ上高地。ブナを中心とする山地帯(落葉広葉樹林帯)の標高限界に近い標高1,500mの高地なため、カラマツなどが中心の亜高山帯針葉樹が多く(植林の影響もあり)、上高地での紅葉は紅・朱でなく黄金色が中心に。上高地の秋 参照

野生動物・生息生物

大正池や梓川でよく見るマガモ、上高地名物の塩焼きで頂くイワナ、時々出会うニホンザル以外にも、およそブナ帯~亜高山帯に生息するニホンリス、ホンドオコジョ、ニホンザル、ニホンカモシカ、ツキノワグマ(後述)などの哺乳類、ウグイス、カケス、コゲラ、セキレイなどの鳥類、昆虫類が生息しています。

越冬する珍しい2種

南は亜熱帯の屋久島から本州の最北端・青森県下北半島まで生息するニホンザル。生息北限の下北半島は海に囲まれているため豪雪地ではない上に、冬の最低気温も上高地に比べ十数度以上も高いことから、彼らは日本で最も厳しい越冬地に生息するニホンザルとして知られています。

また、上高地に生息するマガモは冬季は寒冷地であるにもかかわらず南方へ渡りをせず、当地で越冬することも知られています。11月~4月まで人の往来が殆どなく、居心地がよいのでしょうか…

危惧されていること

すぐ近くで愛嬌をふるマガモ、木道やベンチに居座るニホンザル。本来は人間を恐れるはずの彼らに手を触れるほどの真近(サルはもう少し遠いけど)に接することができてしまうのは、長年誰も危害を加えなかったから、だけではなく、餌を与える人がいるからです。少数派ながらこの行為で人馴れし「近寄ってくる鴨」「人を威嚇する猿」にしてしまう。
彼らは野生、餌を与えるのは自己満足に過ぎません。

迷惑な虫

庭や雑木林の藪などで気付いた時にはもう刺されてる“蚊”、郊外のハイキングでは時々出くわす刺されると痛いアブやブヨ、さらに怖い蜂。
上高地での日中の行動時にこいつらにやられることは先ずありませんし、スズメバチやアシナガバチなどの攻撃的な蜂による被害報告はありません。

但し、上高地で泊まって夜出歩くなら話は別、上高地にも蚊はいます。特に小梨平ほかキャンプサイトだと間違いなく蚊にやられますww

©アクティブ・レンジャー日記 [中部地区]

危険な動物

上高地周辺の山に生息するツキノワグマ。日常的とまでは言えない程度に出没が報告されています。

ホテルなどの生ごみ管理が行き届くようになった2005年頃以降は目撃の頻度もかなり下がって年間に40回程度ですが、年によっては倍近く(2012年)、月に14回目撃なんてことも(2014年9月)。

熊も棲む自然のなかに居ることを認識し、見かけたら報告を、特に早朝や夜間、悪天候日は出会わないようクマ鈴などで自分たちの存在を熊に知らせてやる。万が一出会っても大声で驚かせたりせずに(出会って驚いているのは熊も同じ。)冷静にゆっくり後ずさりで立ち去れば、熊から襲いかかることはありません。(保障はできませんww)

本来熊は人の姿を見れば逃げる臆病な生き物。熊による甚大事故の報告は記録の限りありません。